4日目(ウィーン2日目) [旅行]
今日は、午前中からリンク郊外にあるシェーンブルン宮殿を
訪れました。ここは、ハプスブルク家の栄枯盛衰を代表する
建築物として有名です。全部で凡そ1,400室からなる宮殿
ですが、見学できるのはそのうち最大で40室となります
(見学コースによる)。
ぱおぴよは、さらに短めのおよそ25室を見学するコースを
廻りました。
宮殿も広大ですが、庭園も更に広大で、庭園内の一部に
動物園があります。庭園の先には、グロリエッテと呼ばれる
記念碑がありますが(写真の奥に見えている、門のようなもの)、
歩くと片道20分ほどかかるそうなので断念しました。
高台にあるので、眺めは良いとのことです。
庭園側から見たシェーンブルン宮殿です。歩いている人との
対比で、如何に大きいかがわかっていただけるのではない
でしょうか。宮殿内には、きらびやかな装飾や絵画が展示
されているのですが、撮影は厳禁となっていました。
中には「会議は踊る、されど進まず」で有名な、ウィーン会議が
開催されたホールも公開されています。
午後からは、リンクの内部に戻ってきて、まずはシュテファン
寺院の尖塔に登ってみました。エレベータがあるのでラクチンです。
周囲には高い建物がなく、絶景が楽しめます。この日は
お天気もよく、遠くまで見渡すことができました。ぱおは、
高いところがやや苦手気味のため、腰が引けていたというのは
秘密・・・。
ウィーン・ミッテ駅の方の景色です。恐怖に打ち勝って、
がんばって撮影しました。というか、遠くを見ている分には
平気。
画面左端にある黒いビルの右側に、半円状に観覧車が
小さく見えているのがお分かりになるでしょうか?
後ほど詳しく登場します。
リンクにほぼ隣接して建っている、ミュージアムクウォーター
の中庭です。暖かい日差しのある日だったので、黄色いベンチ(?)
のようなものに寝そべって休憩しているひとが大勢いました。
シュテファン寺院の尖塔から小さく見えていた、観覧車です。
プラーターと呼ばれる、もとはハプスブルク家の狩猟場だった
場所を市民に開放(確か、フランツ・ヨーゼフⅠ世による)して
作られた公園にあります。
建設当初32台あったゴンドラは、現在は半分の16台となって
います。日本の観覧車のゴンドラと比べると大型で、ゴンドラの
中でコース料理が食べられるサービスもあります。人が乗り込む
時や、食事が給仕される時には回転が止まるのも日本の観覧車
とは大きく違いますね。
この日の晩御飯は、ホイリゲに行って新酒のワインとともに
いただくこととなりました。ホイリゲとは、オーストリア版居酒屋
のようなもので、ワインの酒蔵が葡萄畑のふもとにログハウス風の
お店を出していて、そこで新種とともに食事を食べることができます
(もともと酒蔵で食事を提供することは禁止されていたそうですが、
近年になって解禁になったのだそうです)。
ぱおぴよが行ったホイリゲでは、下の写真のように歌と踊りを
見せてくれました。曲はオペレッタです。
今回は、主にリンク郊外の宮殿と中心部の寺院からの眺望を
お届けしました。続きは、次回ウィーンの近代建築をご紹介する
予定です。
#ぱお#
*ぴよ*
訪れました。ここは、ハプスブルク家の栄枯盛衰を代表する
建築物として有名です。全部で凡そ1,400室からなる宮殿
ですが、見学できるのはそのうち最大で40室となります
(見学コースによる)。
ぱおぴよは、さらに短めのおよそ25室を見学するコースを
廻りました。
宮殿も広大ですが、庭園も更に広大で、庭園内の一部に
動物園があります。庭園の先には、グロリエッテと呼ばれる
記念碑がありますが(写真の奥に見えている、門のようなもの)、
歩くと片道20分ほどかかるそうなので断念しました。
高台にあるので、眺めは良いとのことです。
庭園側から見たシェーンブルン宮殿です。歩いている人との
対比で、如何に大きいかがわかっていただけるのではない
でしょうか。宮殿内には、きらびやかな装飾や絵画が展示
されているのですが、撮影は厳禁となっていました。
中には「会議は踊る、されど進まず」で有名な、ウィーン会議が
開催されたホールも公開されています。
午後からは、リンクの内部に戻ってきて、まずはシュテファン
寺院の尖塔に登ってみました。エレベータがあるのでラクチンです。
周囲には高い建物がなく、絶景が楽しめます。この日は
お天気もよく、遠くまで見渡すことができました。ぱおは、
高いところがやや苦手気味のため、腰が引けていたというのは
秘密・・・。
ウィーン・ミッテ駅の方の景色です。恐怖に打ち勝って、
がんばって撮影しました。というか、遠くを見ている分には
平気。
画面左端にある黒いビルの右側に、半円状に観覧車が
小さく見えているのがお分かりになるでしょうか?
後ほど詳しく登場します。
リンクにほぼ隣接して建っている、ミュージアムクウォーター
の中庭です。暖かい日差しのある日だったので、黄色いベンチ(?)
のようなものに寝そべって休憩しているひとが大勢いました。
シュテファン寺院の尖塔から小さく見えていた、観覧車です。
プラーターと呼ばれる、もとはハプスブルク家の狩猟場だった
場所を市民に開放(確か、フランツ・ヨーゼフⅠ世による)して
作られた公園にあります。
建設当初32台あったゴンドラは、現在は半分の16台となって
います。日本の観覧車のゴンドラと比べると大型で、ゴンドラの
中でコース料理が食べられるサービスもあります。人が乗り込む
時や、食事が給仕される時には回転が止まるのも日本の観覧車
とは大きく違いますね。
この日の晩御飯は、ホイリゲに行って新酒のワインとともに
いただくこととなりました。ホイリゲとは、オーストリア版居酒屋
のようなもので、ワインの酒蔵が葡萄畑のふもとにログハウス風の
お店を出していて、そこで新種とともに食事を食べることができます
(もともと酒蔵で食事を提供することは禁止されていたそうですが、
近年になって解禁になったのだそうです)。
ぱおぴよが行ったホイリゲでは、下の写真のように歌と踊りを
見せてくれました。曲はオペレッタです。
今回は、主にリンク郊外の宮殿と中心部の寺院からの眺望を
お届けしました。続きは、次回ウィーンの近代建築をご紹介する
予定です。
#ぱお#
*ぴよ*
水戸旅行 [旅行]
ちょっと更新が滞ってしまいました。今回は、ウィーン旅行
記事の中休みとして、先週末に行ってきた水戸の旅(日帰り)
をお伝えしようと思います。
水戸へは、上野から常磐線に乗って行ってきました。一本で
行けるのでラクチンです。常磐線は、グリーン車が連結される
ようになり、車両が新型になっていました。
水戸駅に到着。
水戸駅で見かけたキオスク。特急列車の形をしています。
帰りは、往路と同じ経路ではつまらないので、水戸線と東北本線
を使って小山経由で帰ってきました。
下の写真は、途中の宍戸駅です。遠くに野焼きの煙が上がっていて、
のどかな風景です。
水戸駅でお土産を買ってきました。
#ぱお#
*ぴよ*
記事の中休みとして、先週末に行ってきた水戸の旅(日帰り)
をお伝えしようと思います。
水戸へは、上野から常磐線に乗って行ってきました。一本で
行けるのでラクチンです。常磐線は、グリーン車が連結される
ようになり、車両が新型になっていました。
水戸駅に到着。
水戸駅で見かけたキオスク。特急列車の形をしています。
帰りは、往路と同じ経路ではつまらないので、水戸線と東北本線
を使って小山経由で帰ってきました。
下の写真は、途中の宍戸駅です。遠くに野焼きの煙が上がっていて、
のどかな風景です。
水戸駅でお土産を買ってきました。
#ぱお#
*ぴよ*
3日目(ウィーン1日目) [旅行]
ウィーンに到着してすぐに、ホテルの近くを散策してみました。
ウィーンの中心部にある繁華街は、主に3つの通り(ケルントナー
通り、グラーベン、コールマルクト)から構成されています。まずは
オペラ座の角を曲がって、ケルントナー通りを歩いてみました。
写真には映っていませんが、至る所地面を掘り返して工事を
しています。冬の寒さの厳しいオーストリアでは冬の間は工事が
できないため、春が到来して暖かくなると急にあちらこちらで
工事が始まるのだそうです。
夏に向かう5月は、ちょうど工事の最盛期のようでした。
ウィーンには、“ユーゲント・シュティル”(世紀末建築)と呼ばれる
様式の建物が数多く残されています。下の写真は、そのうちの
一つである“American Bar”です。
ケルントナー通りから、少し脇道に入ったところにあります。
ケルントナー通りをまっすぐ歩いて、シュテファン寺院が
見えてきたら、ハースハウス(2つ前の写真の建物です)
の角を左に曲がるとそこがグラーベンとなります。
ブランドショップやオープンカフェが並ぶ、歩くのがとても
楽しい通りです。この日も、平日の昼過ぎにもかかわらず
大変にぎわっていました。
みなさん、お仕事の方は・・・?
グラーベンを突き当りまで歩き、Cartierの角を左に曲がると
コールマルクトに入ります。コールマルクトは、そのまま王宮まで
続いていますが、王宮の少し手前の右側に写真の“マンツ書店”
があります。
これも、世紀末建築の代表作の一つです。
ウィーンで最初に入ったカフェは、Oberlaa(オーバーラー)です。
甘すぎず、しっとりとした味わいは、男性にもオススメです。
お茶時だったせいもあるかもしれませんが、ほぼ満席でした。
軽食のメニューも豊富なカフェです。
カフェのあと王宮の辺りを散策してリンク(ウィーン中心部を
囲む環状道路)を歩いて、ちょうどオペラ座に差し掛かったところで
時計を見ると、開演の1時間ほど前でした。立ち見席のチケットを
買うのにちょうどいい時間だったので、入ってみることにしました。
この日の公演は、ワグナーの“ニーベルングの指環”の第一日
「ワルキューレ」でした。“ニーベルングの指環”は、三日と一夜
のための楽劇(歌劇ではない)と呼ばれる大作で、日本でも
なじみの深い作品だと思います。それぞれのタイトルは、次の
通りです。
・序夜:「ラインの黄金」
・第一日:「ワルキューレ」
・第二日:「ジークフリート」
・第三日:「神々の黄昏」
(ぱおのオペラ知識では、ここまでの説明が限界です・・・。
すみません・・・。)
ウィーンでは、同作を一週間かけて公演するのだそうですが、
ちょうど今年から演出が変更になっており、この週は変更後
初めての公演になるのだそうです。
チケットを買ったのは、4ユーロの2階平土間です。開演まで
時間があるため、自分が確保した場所の前の手摺にハンカチ
を巻きつけて(これで、そのスペースが確保済みという印に
なります)オペラ座内の散策に出かけました。
開演30分前くらいまでは、4ユーロのチケットでは入れない席
まで自由に見学することができます。
オペラ座の舞台と、ウィーンフィルの楽器たち。
今回は、主にウィーン市街中心部の散策をお届けしました。
続きは、次回リンク郊外の宮殿とホイリゲ(ウィーン版居酒屋)
までをご紹介する予定です。
ウィーンの中心部にある繁華街は、主に3つの通り(ケルントナー
通り、グラーベン、コールマルクト)から構成されています。まずは
オペラ座の角を曲がって、ケルントナー通りを歩いてみました。
写真には映っていませんが、至る所地面を掘り返して工事を
しています。冬の寒さの厳しいオーストリアでは冬の間は工事が
できないため、春が到来して暖かくなると急にあちらこちらで
工事が始まるのだそうです。
夏に向かう5月は、ちょうど工事の最盛期のようでした。
ウィーンには、“ユーゲント・シュティル”(世紀末建築)と呼ばれる
様式の建物が数多く残されています。下の写真は、そのうちの
一つである“American Bar”です。
ケルントナー通りから、少し脇道に入ったところにあります。
ケルントナー通りをまっすぐ歩いて、シュテファン寺院が
見えてきたら、ハースハウス(2つ前の写真の建物です)
の角を左に曲がるとそこがグラーベンとなります。
ブランドショップやオープンカフェが並ぶ、歩くのがとても
楽しい通りです。この日も、平日の昼過ぎにもかかわらず
大変にぎわっていました。
みなさん、お仕事の方は・・・?
グラーベンを突き当りまで歩き、Cartierの角を左に曲がると
コールマルクトに入ります。コールマルクトは、そのまま王宮まで
続いていますが、王宮の少し手前の右側に写真の“マンツ書店”
があります。
これも、世紀末建築の代表作の一つです。
ウィーンで最初に入ったカフェは、Oberlaa(オーバーラー)です。
甘すぎず、しっとりとした味わいは、男性にもオススメです。
お茶時だったせいもあるかもしれませんが、ほぼ満席でした。
軽食のメニューも豊富なカフェです。
カフェのあと王宮の辺りを散策してリンク(ウィーン中心部を
囲む環状道路)を歩いて、ちょうどオペラ座に差し掛かったところで
時計を見ると、開演の1時間ほど前でした。立ち見席のチケットを
買うのにちょうどいい時間だったので、入ってみることにしました。
この日の公演は、ワグナーの“ニーベルングの指環”の第一日
「ワルキューレ」でした。“ニーベルングの指環”は、三日と一夜
のための楽劇(歌劇ではない)と呼ばれる大作で、日本でも
なじみの深い作品だと思います。それぞれのタイトルは、次の
通りです。
・序夜:「ラインの黄金」
・第一日:「ワルキューレ」
・第二日:「ジークフリート」
・第三日:「神々の黄昏」
(ぱおのオペラ知識では、ここまでの説明が限界です・・・。
すみません・・・。)
ウィーンでは、同作を一週間かけて公演するのだそうですが、
ちょうど今年から演出が変更になっており、この週は変更後
初めての公演になるのだそうです。
チケットを買ったのは、4ユーロの2階平土間です。開演まで
時間があるため、自分が確保した場所の前の手摺にハンカチ
を巻きつけて(これで、そのスペースが確保済みという印に
なります)オペラ座内の散策に出かけました。
開演30分前くらいまでは、4ユーロのチケットでは入れない席
まで自由に見学することができます。
オペラ座の舞台と、ウィーンフィルの楽器たち。
今回は、主にウィーン市街中心部の散策をお届けしました。
続きは、次回リンク郊外の宮殿とホイリゲ(ウィーン版居酒屋)
までをご紹介する予定です。
3日目(ザルツブルクからウィーンへ) [旅行]
さて、今日は短かったザルツブルク滞在を終えて、鉄道にて
音楽の都ウィーンへと向かいます(ザルツブルクも十分音楽の都
だと思いますけれども・・・)。
まずは、オーストリア国鉄に乗るべくザルツブルク中央駅まで
来ました。
この日は、乗る予定にしている列車が遅れており(といっても数分
のことですが)、予定していた停車時間が確保できないとの
アナウンスがありました。数分の遅れでアナウンスが入るなんて、
日本みたいですね。
ウィーン方面行きホームの様子です。線路からプラットホーム
までが低く、簡単に線路に降りられます(ヨーロッパによくある
スタイルです)。日本の駅も、こうすれば転落事故が少なくなる
ような気がするのですが、今から変更するのは大変なのでしょうね。
ザルツブルク~ウィーン間は、特急列車によっておよそ3時間
で結ばれています。路線の直線化工事によって、以前より時間は
短縮されているそうです。その代償として、山岳部を抜けるための
トンネルが多く設けられ、車窓からの景色が犠牲となっているのは
残念です。
下の写真は、車窓からの風景です。ちょっとわかりにくいのですが、
風力発電用の風車が4基丘の上に建っていました。
ウィーン西駅に到着しました。定刻より数分遅れの到着です。
下の写真では背中を向けている方が駅舎になるのですが、
現在新しい駅舎を建設中とのことでした。EUの命令により、
現在ターミナル駅となっている同駅を、通過型の駅に改造する
のだそうです。
ウィーンでは、Grand Hotel Wien(グランド・ホテル・ウィーン)
に宿泊しました。重厚な外観ですが、変な威厳があるわけ
ではなく街並みによく似合っています。
歴史を感じさせる外観とは趣が異なって、内装は近代的な
ものでした。まるで、都内にある外資系ホテルのようです。
都会的で洗練されたホスピタリティを提供してくれます。
ザルツブルクのBristolの時間・空間感覚とはまた違った良さ
があります。
今回は、ザルツブルク出発からウィーン到着までをお届け
しました。続きは、次回ウィーン市街中心部の散策から
オペラ鑑賞までをご紹介する予定です。
#ぱお#
*ぴよ*
音楽の都ウィーンへと向かいます(ザルツブルクも十分音楽の都
だと思いますけれども・・・)。
まずは、オーストリア国鉄に乗るべくザルツブルク中央駅まで
来ました。
この日は、乗る予定にしている列車が遅れており(といっても数分
のことですが)、予定していた停車時間が確保できないとの
アナウンスがありました。数分の遅れでアナウンスが入るなんて、
日本みたいですね。
ウィーン方面行きホームの様子です。線路からプラットホーム
までが低く、簡単に線路に降りられます(ヨーロッパによくある
スタイルです)。日本の駅も、こうすれば転落事故が少なくなる
ような気がするのですが、今から変更するのは大変なのでしょうね。
ザルツブルク~ウィーン間は、特急列車によっておよそ3時間
で結ばれています。路線の直線化工事によって、以前より時間は
短縮されているそうです。その代償として、山岳部を抜けるための
トンネルが多く設けられ、車窓からの景色が犠牲となっているのは
残念です。
下の写真は、車窓からの風景です。ちょっとわかりにくいのですが、
風力発電用の風車が4基丘の上に建っていました。
ウィーン西駅に到着しました。定刻より数分遅れの到着です。
下の写真では背中を向けている方が駅舎になるのですが、
現在新しい駅舎を建設中とのことでした。EUの命令により、
現在ターミナル駅となっている同駅を、通過型の駅に改造する
のだそうです。
ウィーンでは、Grand Hotel Wien(グランド・ホテル・ウィーン)
に宿泊しました。重厚な外観ですが、変な威厳があるわけ
ではなく街並みによく似合っています。
歴史を感じさせる外観とは趣が異なって、内装は近代的な
ものでした。まるで、都内にある外資系ホテルのようです。
都会的で洗練されたホスピタリティを提供してくれます。
ザルツブルクのBristolの時間・空間感覚とはまた違った良さ
があります。
今回は、ザルツブルク出発からウィーン到着までをお届け
しました。続きは、次回ウィーン市街中心部の散策から
オペラ鑑賞までをご紹介する予定です。
#ぱお#
*ぴよ*
2日目(ザルツブルクその2) [旅行]
モーツアルトの生家から大聖堂の方に5分ほど歩くと、
モーツアルト像があります。後方に見えているベージュ色の
壁の建物は、モーツアルトの奥さんが住んでいた家だそう
です。
当初、モーツアルトが亡くなって悲しんでいるであろう奥さんの
ために、像は家の方を向けて建てられる予定でした。しかし、
像が完成する頃には奥さんも亡くなってしまい、結局広場の
方を向けて建てられたというオチなのだそうです。
旧市街のゲトライデガッセ周辺を一通り見て廻った後、
ホーエンザルツブルク城に上りました。同城には、旧市街の
南端にあるケーブルカーで簡単に登れます(徒歩で登ることも
勿論できます)。
お城の全景は、下の写真のような形をしています。1077年の
築城当初小規模だったお城を、皇帝が変わるたびに増築して
今の形態に至っているそうです。下の写真は、早朝ホテルの
バルコニーから撮った写真です。
ホーエンザルツブルク城は、ザルツブルク市街を一望できる
高台に建っており、眺めが絶景でした。ミラベル宮殿(下の写真
中央、緑の生い茂っている部分の右側にある横長の建物)
まできれいに見渡せます。
旧市街の東側を一望したところです。遠くに見える山並が
きれいです。寒いのに、芝が青々としています。
お伽話に出てきそうな風景ですね。
お城の塔に翻るオーストリアの国旗です。
前回ご紹介した、ドップラーチョコを売っているカフェ“フュルスト”
に行ってみました。1階の一部と2階が座席になっていて、
飲み物を注文することができます。残念ながら、ドップラーチョコは
イートインメニューにはありませんでした。
この日の夜は、「魚料理が食べたいっ!」というぱおの
わがままのため(ザルツブルクは山岳地方のため、そもそも魚
なんか獲れない)、ガイドブックで調べた“オイレンシュピーゲル”
というお店に食べに行きました。ガイドブックによると、魚のスープ
(fischsuppe)が名物なのだそうです。
この魚のスープと、チャーハンの海老添え(正確には多分違う
ものです)を注文しました。どちらもくどい味付けではなく、量が多い
にもかかわらずあっさりと完食です。
飲み物は、ビールと赤ワイン、白ワインをそれぞれ注文しました。
歴史を感じさせる建物で、料理も飲み物もとてもおいしいお店でした。
ホテルに帰る道すがらのザルツァッハ川と旧市街の夜景です。
川面に映る照明に温かみがあります。日本と違って、昼光色の
蛍光灯が少ないからでしょうか。
ザルツブルクとも今夜でお別れ。明日は午前中からウィーンに
向けて鉄道の旅です。お世話になったホテルブリストルとも
お別れです。
今回は、ザルツブルク市内の後半をお届けしました。続きは、
次回ザルツブルクを発ってからウィーン到着した日までを
ご紹介する予定です。
#ぱお#
*ぴよ*
モーツアルト像があります。後方に見えているベージュ色の
壁の建物は、モーツアルトの奥さんが住んでいた家だそう
です。
当初、モーツアルトが亡くなって悲しんでいるであろう奥さんの
ために、像は家の方を向けて建てられる予定でした。しかし、
像が完成する頃には奥さんも亡くなってしまい、結局広場の
方を向けて建てられたというオチなのだそうです。
旧市街のゲトライデガッセ周辺を一通り見て廻った後、
ホーエンザルツブルク城に上りました。同城には、旧市街の
南端にあるケーブルカーで簡単に登れます(徒歩で登ることも
勿論できます)。
お城の全景は、下の写真のような形をしています。1077年の
築城当初小規模だったお城を、皇帝が変わるたびに増築して
今の形態に至っているそうです。下の写真は、早朝ホテルの
バルコニーから撮った写真です。
ホーエンザルツブルク城は、ザルツブルク市街を一望できる
高台に建っており、眺めが絶景でした。ミラベル宮殿(下の写真
中央、緑の生い茂っている部分の右側にある横長の建物)
まできれいに見渡せます。
旧市街の東側を一望したところです。遠くに見える山並が
きれいです。寒いのに、芝が青々としています。
お伽話に出てきそうな風景ですね。
お城の塔に翻るオーストリアの国旗です。
前回ご紹介した、ドップラーチョコを売っているカフェ“フュルスト”
に行ってみました。1階の一部と2階が座席になっていて、
飲み物を注文することができます。残念ながら、ドップラーチョコは
イートインメニューにはありませんでした。
この日の夜は、「魚料理が食べたいっ!」というぱおの
わがままのため(ザルツブルクは山岳地方のため、そもそも魚
なんか獲れない)、ガイドブックで調べた“オイレンシュピーゲル”
というお店に食べに行きました。ガイドブックによると、魚のスープ
(fischsuppe)が名物なのだそうです。
この魚のスープと、チャーハンの海老添え(正確には多分違う
ものです)を注文しました。どちらもくどい味付けではなく、量が多い
にもかかわらずあっさりと完食です。
飲み物は、ビールと赤ワイン、白ワインをそれぞれ注文しました。
歴史を感じさせる建物で、料理も飲み物もとてもおいしいお店でした。
ホテルに帰る道すがらのザルツァッハ川と旧市街の夜景です。
川面に映る照明に温かみがあります。日本と違って、昼光色の
蛍光灯が少ないからでしょうか。
ザルツブルクとも今夜でお別れ。明日は午前中からウィーンに
向けて鉄道の旅です。お世話になったホテルブリストルとも
お別れです。
今回は、ザルツブルク市内の後半をお届けしました。続きは、
次回ザルツブルクを発ってからウィーン到着した日までを
ご紹介する予定です。
#ぱお#
*ぴよ*
2日目(ザルツブルクその1) [旅行]
ザルツブルクで宿泊したのは、新市街のザルツァッハ川近くの
Hotel Bristol Salzburg(ホテルブリストルザルツブルク)です。
歴史ある建物と、品格を感じさせる家具や調度品で飾られ、
ホテルサービスともどもホスピタリティは最高でした。ただ古い
だけではなく、清掃や手入れが行き届いていて清潔感があり
ます。バス、トイレなどはきれいに改装されていました。
歩くと“ギシギシ”と音を立てる床、手動開閉扉のエレベータなど、
このホテルでなければ体験できないでしょう。
エレベータの到着を確認し、手で扉を開けて行き先階のボタン
を押すと動き出します。目的階に到着したら、また手で扉を
開けて降りなければなりません。慣れるのに時間がかかり、
初めは自動で扉が開くのを待ってしまって「あれ?開かないな??
・・・そうだ!手で開けないと・・・」ってなことが何度もありました。
先ほどから何度も登場している、新市街と旧市街を分けて
流れるザルツァッハ川です。“塩の川”という名前の同川に
流れるのは薄い緑色に濁った水ですが、別に岩塩が溶けて
いるわけではなく(水を飲んでも塩辛くないそうです)、上流の
岩石が溶けだした色なのだそうです。
ゆったりとした流れは、まるでこの地の時間の流れに調和
しているかのようです。
まずはザルツブルクのメインストリート、ゲトライデガッセを
歩きます。壁面から通りに延びる鉄細工の看板が特徴の
通りですが、この看板に各お店の特徴が出ていてとても
美しいのです。
以下の写真は、ゲトライデガッセからブラジウス教会を
見上げたところです。残念ながら、時間の関係でこの教会
には入りませんでした。
LOUIS VUITTONの看板もごらんの通り。銀座のお店より
ずっと品がありますね。
通りの入口から撮った写真です。ここから見ると緩やかに左に
曲がっていて、建物の高さ・意匠が揃っていて美しいです。
右側手前に見える青いアヒルの鉄細工の看板が、もっとも古い
ものなのだそうです。
主要駅ではどこでも見かけるハンバーガーチェーン、ザルツブルク
にもありました。鉄細工の看板は以下のとおりです。
どのガイドブックにも必ず書いてあると思いますが、市内の
交通はトロリーバスが便利です。しかし、小さな町なので観光
スポットのほとんどの場所に徒歩で行くことができます。路地を
抜けながら歩くのが楽しかったので、ぱおぴよは結局トロリーバス
には乗りませんでした。
道路の上部には、写真のようなトロリーバス用の架線が張り
巡らされています。
観光用の馬車です。ドーム広場が発着点のようです。みんなの
注目を浴びるので、乗っている人はちょっと恥ずかしそう・・・?
ミラベル宮殿と、その庭園です。創建は1606年ですが、
今ある建物は1818年の火災の後に再建されたものだそうです。
庭園のお花は、冬の間温室で育てられたものをこの時期に移植
するのだそうです。芝の上にお花の幾何学模様が描かれていて、
とてもきれいでした。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台として有名な場所なので、
映画をご覧になった方には見所の一つだと思います。残念ながら、
ぱおは同映画を見たことがないので、ただのきれいな宮殿と庭園
ということで終わってしまいました。帰国してから見てみようと思い
ます。
モーツアルトが暮らした家(住居)です。生家はゲトライデガッセ
にあるのですが(後述)、こちらの住居はモーツアルトが17歳の
時から住んだ家だそうです。第二次大戦のときの爆撃により
約半分が焼失し、その後当初とは違う形で再建されていましたが、
日本企業やファンからの多額の寄付により当時の姿に戻された
とのことです。
ドップラー効果でおなじみの、クリスチャン・ドップラーの生家です。
モーツアルトの住居の道を挟んだお隣です。フュルストとうカフェで、
ドップラーチョコが売られています。ちょっとマニアックなお土産ですが、
自然科学系の関係者には大人気だとか(ちなみに、同店で有名なのは
“モーツアルトクーゲルン”というチョコの方です)。
次の写真は、ヘルベルト・フォン・カラヤンの生家です。ドップラー
の生家の、これまた道を挟んだはす向かいです。奥に小さな
像があるのがおわかりになるでしょうか?
ザルツブルクの建物の多くには、上部に二つの西暦が書かれて
います。これは、古い西暦がその建物が建てられた年を、新しい
西暦がその建物が最近改修された年を表しているのだそうです。
ザルツブルクの建物は横に建て増すことができない事情から、
上部に建て増されることが多く、その時にはこのように年数を記録
しておくようです。日本の建物でよく見かける、「定礎 平成○○年」
なんていうのと似ていますよね。
旧市街のちょうど中心部にある、大聖堂です。残念なことに、
ちょうど外壁の改修工事中でした(中央部の幕に覆われている
部分)。
大聖堂の内部です。とても大きくてきれいな聖堂ですが、
いまある建物は第二次大戦後に再建されたものです。1944年
の米軍の空爆により、ドーム部分が崩壊してしまった
のだそうです。
ひどいことをするものです・・・。
崩壊したドーム部分の写真が、聖堂入り口のところに展示
してありました。
ザルツブルク最小面積のお店、です。延べ床面積は、8平方
メートルしかないのだそうです。でも、ちゃんとデザインされていて
美しい。
こちがら、モーツアルトの生家です。上から二段目の右側の方の、
窓が開いているあたりがそうです。こちらが手狭になったという
ことで、先にご紹介した住居の方に移ったとのことですが、都内の
平均的な住居にお住まいの方なら「この広さを手狭と言ってしまうのか!」
と軽くショックを受けられることでしょう。
今回は、ザルツブルク市内の前半をお届けしました。続きは、
次回ザルツブルクの後半からウィーンへ向けて出発するまでを
ご紹介する予定です。
shigeさんに、初めてのnice!をつけていただきました。どうも
ありがとうございます。とてもうれしいです。
励みにして、頑張って更新していこうと思います。
#ぱお#
*ぴよ*
Hotel Bristol Salzburg(ホテルブリストルザルツブルク)です。
歴史ある建物と、品格を感じさせる家具や調度品で飾られ、
ホテルサービスともどもホスピタリティは最高でした。ただ古い
だけではなく、清掃や手入れが行き届いていて清潔感があり
ます。バス、トイレなどはきれいに改装されていました。
歩くと“ギシギシ”と音を立てる床、手動開閉扉のエレベータなど、
このホテルでなければ体験できないでしょう。
エレベータの到着を確認し、手で扉を開けて行き先階のボタン
を押すと動き出します。目的階に到着したら、また手で扉を
開けて降りなければなりません。慣れるのに時間がかかり、
初めは自動で扉が開くのを待ってしまって「あれ?開かないな??
・・・そうだ!手で開けないと・・・」ってなことが何度もありました。
先ほどから何度も登場している、新市街と旧市街を分けて
流れるザルツァッハ川です。“塩の川”という名前の同川に
流れるのは薄い緑色に濁った水ですが、別に岩塩が溶けて
いるわけではなく(水を飲んでも塩辛くないそうです)、上流の
岩石が溶けだした色なのだそうです。
ゆったりとした流れは、まるでこの地の時間の流れに調和
しているかのようです。
まずはザルツブルクのメインストリート、ゲトライデガッセを
歩きます。壁面から通りに延びる鉄細工の看板が特徴の
通りですが、この看板に各お店の特徴が出ていてとても
美しいのです。
以下の写真は、ゲトライデガッセからブラジウス教会を
見上げたところです。残念ながら、時間の関係でこの教会
には入りませんでした。
LOUIS VUITTONの看板もごらんの通り。銀座のお店より
ずっと品がありますね。
通りの入口から撮った写真です。ここから見ると緩やかに左に
曲がっていて、建物の高さ・意匠が揃っていて美しいです。
右側手前に見える青いアヒルの鉄細工の看板が、もっとも古い
ものなのだそうです。
主要駅ではどこでも見かけるハンバーガーチェーン、ザルツブルク
にもありました。鉄細工の看板は以下のとおりです。
どのガイドブックにも必ず書いてあると思いますが、市内の
交通はトロリーバスが便利です。しかし、小さな町なので観光
スポットのほとんどの場所に徒歩で行くことができます。路地を
抜けながら歩くのが楽しかったので、ぱおぴよは結局トロリーバス
には乗りませんでした。
道路の上部には、写真のようなトロリーバス用の架線が張り
巡らされています。
観光用の馬車です。ドーム広場が発着点のようです。みんなの
注目を浴びるので、乗っている人はちょっと恥ずかしそう・・・?
ミラベル宮殿と、その庭園です。創建は1606年ですが、
今ある建物は1818年の火災の後に再建されたものだそうです。
庭園のお花は、冬の間温室で育てられたものをこの時期に移植
するのだそうです。芝の上にお花の幾何学模様が描かれていて、
とてもきれいでした。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台として有名な場所なので、
映画をご覧になった方には見所の一つだと思います。残念ながら、
ぱおは同映画を見たことがないので、ただのきれいな宮殿と庭園
ということで終わってしまいました。帰国してから見てみようと思い
ます。
モーツアルトが暮らした家(住居)です。生家はゲトライデガッセ
にあるのですが(後述)、こちらの住居はモーツアルトが17歳の
時から住んだ家だそうです。第二次大戦のときの爆撃により
約半分が焼失し、その後当初とは違う形で再建されていましたが、
日本企業やファンからの多額の寄付により当時の姿に戻された
とのことです。
ドップラー効果でおなじみの、クリスチャン・ドップラーの生家です。
モーツアルトの住居の道を挟んだお隣です。フュルストとうカフェで、
ドップラーチョコが売られています。ちょっとマニアックなお土産ですが、
自然科学系の関係者には大人気だとか(ちなみに、同店で有名なのは
“モーツアルトクーゲルン”というチョコの方です)。
次の写真は、ヘルベルト・フォン・カラヤンの生家です。ドップラー
の生家の、これまた道を挟んだはす向かいです。奥に小さな
像があるのがおわかりになるでしょうか?
ザルツブルクの建物の多くには、上部に二つの西暦が書かれて
います。これは、古い西暦がその建物が建てられた年を、新しい
西暦がその建物が最近改修された年を表しているのだそうです。
ザルツブルクの建物は横に建て増すことができない事情から、
上部に建て増されることが多く、その時にはこのように年数を記録
しておくようです。日本の建物でよく見かける、「定礎 平成○○年」
なんていうのと似ていますよね。
旧市街のちょうど中心部にある、大聖堂です。残念なことに、
ちょうど外壁の改修工事中でした(中央部の幕に覆われている
部分)。
大聖堂の内部です。とても大きくてきれいな聖堂ですが、
いまある建物は第二次大戦後に再建されたものです。1944年
の米軍の空爆により、ドーム部分が崩壊してしまった
のだそうです。
ひどいことをするものです・・・。
崩壊したドーム部分の写真が、聖堂入り口のところに展示
してありました。
ザルツブルク最小面積のお店、です。延べ床面積は、8平方
メートルしかないのだそうです。でも、ちゃんとデザインされていて
美しい。
こちがら、モーツアルトの生家です。上から二段目の右側の方の、
窓が開いているあたりがそうです。こちらが手狭になったという
ことで、先にご紹介した住居の方に移ったとのことですが、都内の
平均的な住居にお住まいの方なら「この広さを手狭と言ってしまうのか!」
と軽くショックを受けられることでしょう。
今回は、ザルツブルク市内の前半をお届けしました。続きは、
次回ザルツブルクの後半からウィーンへ向けて出発するまでを
ご紹介する予定です。
shigeさんに、初めてのnice!をつけていただきました。どうも
ありがとうございます。とてもうれしいです。
励みにして、頑張って更新していこうと思います。
#ぱお#
*ぴよ*
1日目(成田空港~フランクフルト~ザルツブルク) [旅行]
成田空港から、フランクフルト乗り換えでザルツブルク空港
に向かいました。フランクフルトまでは途中、シベリア南部、
フィンランド上空を通過して、約11時間30分のフライトです。
結構長い・・・。
新型インフルエンザ騒ぎの最中でしたが、混乱もなく定刻の
出発です。成田空港にはマスクをした旅行客の方が大勢
いました。
シベリア上空では、氷河のようなものが見えました。飛行
高度は約11500メートルで、外気温は確かマイナス60~70℃
くらいだったと思います。
フランクフルト空港に到着。ここで、オーストリア航空(正確
には、傘下のチロリアン航空(オーストリアンアローズ))に乗り
換えます。チロリアン航空の機材は、ボンバルディアの
DHC8-400型機でした。
フランクフルト空港では乗り換えまでに時間があったので、
コンビニや本屋さんで時間つぶし。アップルジュースを買う
ために、生まれて初めてユーロを使いました。
成田空港と違って、フランクフルト空港にはマスクをした旅行
客・職員は見当たりません。奇異な目で見られそうだったので、
我々もここからはマスクを外すことにします。
ザルツブルク空港から市内までは、タクシーで20分くらいです。
料金は、約12ユーロでした。ホテルは新市街の川沿いにある
マカルト広場のすぐ近くです。ザルツブルク中心部には
ザルツァッハ川という川が流れており、この川の南西側を旧市街、
北東側を新市街と呼んでいます。旧市街は1300年前、新市街は
500年前にそれぞれ形成されたのだそうです。ザルツブルクの
天候は年間の1/3が雨だそうで、到着したこの日もお天気は良く
ありませんでした(曇りときどき小雨)。
今回は、成田からザルツブルク市内到着までをお届けしました。
続きは、ホテルのご紹介からです。
#ぱお#
*ぴよ*
に向かいました。フランクフルトまでは途中、シベリア南部、
フィンランド上空を通過して、約11時間30分のフライトです。
結構長い・・・。
新型インフルエンザ騒ぎの最中でしたが、混乱もなく定刻の
出発です。成田空港にはマスクをした旅行客の方が大勢
いました。
シベリア上空では、氷河のようなものが見えました。飛行
高度は約11500メートルで、外気温は確かマイナス60~70℃
くらいだったと思います。
フランクフルト空港に到着。ここで、オーストリア航空(正確
には、傘下のチロリアン航空(オーストリアンアローズ))に乗り
換えます。チロリアン航空の機材は、ボンバルディアの
DHC8-400型機でした。
フランクフルト空港では乗り換えまでに時間があったので、
コンビニや本屋さんで時間つぶし。アップルジュースを買う
ために、生まれて初めてユーロを使いました。
成田空港と違って、フランクフルト空港にはマスクをした旅行
客・職員は見当たりません。奇異な目で見られそうだったので、
我々もここからはマスクを外すことにします。
ザルツブルク空港から市内までは、タクシーで20分くらいです。
料金は、約12ユーロでした。ホテルは新市街の川沿いにある
マカルト広場のすぐ近くです。ザルツブルク中心部には
ザルツァッハ川という川が流れており、この川の南西側を旧市街、
北東側を新市街と呼んでいます。旧市街は1300年前、新市街は
500年前にそれぞれ形成されたのだそうです。ザルツブルクの
天候は年間の1/3が雨だそうで、到着したこの日もお天気は良く
ありませんでした(曇りときどき小雨)。
今回は、成田からザルツブルク市内到着までをお届けしました。
続きは、ホテルのご紹介からです。
#ぱお#
*ぴよ*
新婚旅行☆日程表(オーストリア、ウィーン、ザルツブルク) [旅行]
成田空港の検疫状況 [旅行]
帰国した際の、成田空港での検疫状況をお知らせいたします。
5月10日午前中に帰国した際、降機後に以下の写真(左側)のような
質問票を渡されました。
検疫法に基づく質問票だそうで、虚偽の記載・回答拒否に対しては、
同法36条3号により"6ヵ月以下の懲役または50万円以下の罰金"が
科される場合があるそうです。厳しいです・・・。
この用紙を一人ずつ検疫官に手渡すため、飛行機を降りてから預け
荷物のピックアップまでに1時間近くかかりました。
(参考)裏は英語表記になっています。
オーストリアには、とても奇麗な街がありました。他のヨーロッパ諸国
と比べても群を抜いた美しさ・・・、といったら言い過ぎでしょうか?
下の写真は、ウィーンのオペラ座です。
詳しいレポートは、おいおい公開していこうと思います。
#ぱお#
5月10日午前中に帰国した際、降機後に以下の写真(左側)のような
質問票を渡されました。
検疫法に基づく質問票だそうで、虚偽の記載・回答拒否に対しては、
同法36条3号により"6ヵ月以下の懲役または50万円以下の罰金"が
科される場合があるそうです。厳しいです・・・。
この用紙を一人ずつ検疫官に手渡すため、飛行機を降りてから預け
荷物のピックアップまでに1時間近くかかりました。
(参考)裏は英語表記になっています。
オーストリアには、とても奇麗な街がありました。他のヨーロッパ諸国
と比べても群を抜いた美しさ・・・、といったら言い過ぎでしょうか?
下の写真は、ウィーンのオペラ座です。
詳しいレポートは、おいおい公開していこうと思います。
#ぱお#